コラム

人生100年時代と誰もが主役の社会 ~学びの社会とは 競争社会から協働社会へ~(2/2)

※ この記事は、第2回人生100年社会デザインフォーラム(牧野篤教授講演、テーマ:「人生100年時代と 誰もが主役の社会―人生100年社会デザイン財団の考え方とソーシャル・イノベーションより―」)から抜粋したものです。

(前の記事からの続き)ただ、現在社会では農山村や、山間僻地等、様々なところで「空洞化」が起こっています。これを明治大学の小田切徳美教授は3つの空洞化と仰っています。

1つ目は人がいなくなっていく過疎化、そして2つ目は土地が使われなくなる、3つ目として、町、自治機能が低下するといったことです。

ただ、実は人が住んでいる場所はこの3つの空洞化が始まっても、そう簡単には崩れないのだと仰っています。全国の様々な事例を見た上で、何が一番空洞化に決定的に作用してしまうのかというと、誇りの空洞化なのだと。言い方を変えれば諦めてしまうことです。

私たちはこの社会、少子高齢化人口減少の中で、諦めかけていたのではないかということでもあるように思います。「もうだめなんじゃないか」、「もう過去の日本の栄光は戻ってこないじゃないか」、だけど本来であれば、それはもっと良い社会を作ろうという形で転換をしなければいけないのに、過去の枠組みに止まってしまっている中で、悲観的になってきたというのがこの社会ではないかということです。

学びの社会とは―競争社会から協働社会へー 

現在「子供が主役プロジェクト」みたいなことをプロジェクトの一つとして進めようとしています。それは、社会そのものの持続可能性を高めていくことに寄与するのではないかと期待をしています。

若い世代がどんどん社会に出てきて、彼ら自身が自ら新しい魅力のある社会を作ろうという形で、社会で活躍をする。それを先行する世代が支援し、促すことをしていけるのではないか。従来のような経済発展や規模の経済と言うようなものに基づく社会とは、違う社会を作ることになるのではないかということです。

各自で小さなコミュニティを作っていきながら新しい社会を作ろうとしていく時に大事になるのが「想像力」です。クリエイティビティではなくてイマジネーション。それは、相手のことを慮る、想像する力、さらに対話をして新しい価値を作り出そうとするような力を持つことではないかと考えています。

そこでは基本的には「競争」ではなく、「連携」や「協働」や「参加」と考えます。日本の社会はすぐに競争させようとしてしまい、例えば、「アントレプレナーシップ」は起業家精神と訳し、起業家同士が競争することで社会が活力を持つようになる、と考えてしまいます。しかし、起業家精神はどちらかと言えば、誰一人取り残さないように目配りをしていきながら、皆が違う価値を持ち、お互いに交流し合い新しい価値を創り出すように促せることなのではないでしょうか

私たちが言っている「小さな社会」は、顔が見える関係を基本にしながらお互いに配慮し合う、そして想像力を働かせあって新しい価値を創り出していくような社会を作っていく。そうする事によって、社会の基盤がより良くなっていくものになるのではないかと考えています。

前半「人生100年時代と誰もが主役の社会 ~学びの社会とは 競争社会から協働社会へ~(1/2)」はこちらよりご覧ください